■移住の資金稼ぎに来仙。
そば屋として創業したのは、明治43年(1910年)。当時日本では、貧しさから脱却しようと、米国や中南米へ渡る移民が増えていた。創業者は、現社長井上修一氏の祖父・政人氏。岩手県衣川村生まれの政人氏も10代でブラジルに渡ろうと、取りあえず仙台に出る。渡航費を稼ぐため、そば屋でアルバイトを始めた。その店で見初めた従業員女性との結婚が転機になる。21歳で独立し、南町十五番地(現在の南町通)でそば屋を始めた。
隣にあった銭湯の二階の丸窓から店のほうを眺めると、松の木が見えたので「丸松そば店」と名付けたといわれる。カルラの原点が誕生した。
■仙台空襲などで二度全焼。
店は学生のたまり場にもなり、経営は軌道に乗るが、災禍が待っていた。大正8年(1919年)の仙台大火で店は全焼。現社長の父・正介氏が店を継いだ後の昭和20年(1945年)には、仙台空襲で焼け出された。二度にわたる苦難を乗り越え、戦後は現在の若林区土樋と石垣町の境で出前中心のそば屋を再開する。修一氏は五橋中、仙台二高時代、神奈川大工学部に進学してからも、そばの配達などを手伝った。修一氏は大学卒業後、仙台の自動車販売会社に入社する。「長男だったので店を継ごうと思っていたが、外からうちの店を見てみたかった」。その間、山形や東京のそば屋を見て回り、そば屋として生き残っていく方法を考えた。その結果「家族だけでは夜遅くまで店を開けられないし、誰かがけがでもしたら出前にもいけなくなる」と、家族経営の限界を感じ取った。
■仙台市中心部でチェーン展開
修一氏は、五年で会社を退社し、昭和43年(1969年)、大学時代の友人と一緒に青葉区二日町に、新たな店を出す。「会社組織にして、従業員が誇りの持てる職場にしたい」父正介氏を説得し、昭和47年(1972年)には有限会社「丸松」を設立。正介氏を社長に据えた。仙台市中心部でそば屋をチェーン展開したほか、昭和53年(1978年)には、そば料理店「寿松庵」を開店。翌年には株式会社化し、正介氏から会社経営を引き継いだ。